雑記 本とわたしと

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10歳のころには、小学校の図書室を9割ほど読破した本好きである。

図書室は山上にある校舎の最上階の突き当りにあり、東西の壁面が窓になっていて、風がよく抜けた。古めかしくコンパクトではあったが、木の棚にはいつも姿勢よく整然と本が収められていた。学校までの半刻ほどの道のりには信号が一つもなく、もちろん大した娯楽もみあたらなかった。近道と言えば田の畦道を進む日々の中、本は乾いた知的好奇心を大いに受け止めひたひたと潤した。私は当時、学年内で貸出枚数が一番であったのが誇りだった。学び舎を出るまでに数十回も手に取る好物もあれば、一方で、なんど触れてもアレルギーが出るものもあった。赤毛のアンはついに最後まで読めなかった。蔵書の場所は旧友の名前より鮮明に思い出せる。

私は古い平屋の和風建築で父方の祖父母と両親と姉と育った。夏は網戸になった縁側に、扇風機と座布団3枚を運び一列に並べる。その横に寝ころび、その日の気分で本を積む。縁側の板目が肘に型押しされ痛んでも、貪るように片端から物語を詰め込んだ。座布団を枕に体位を変え、痛む場所を変えながら器用にころがりつつ過ごした。冬は、帰宅するとすぐ、赤く千切れそうになった手を居間の炬燵板と机との隙間に挟みあたためたのち、ランドセルから宿題と借りてきた本を出す。宿題を赤いランドセルの背の上で乱暴に片づけて、炬燵に足を投げ入れ肩まですっぽりとえんじ色の重いその布団を背負う。水戸黄門をBGMに、干し芋などかじりながら、別世界にずんと身を預ける。

いつも、本とわたしは、机と椅子とで向きあうことはしなかった。点火したばかりのストーブの前に陣取る朝の猫のように、その時に心地が良い場所を必ず知っていた。誰にも干渉されないようにひとりで、ごろりんと横たわっていた。本を読む場所は見つけられるのに、家庭のなかでも学校の中でもうまく居場所を見つけられなかった。じっくり本に浸かっていたいのに、まわりの人間の顔色を伺いながらお調子者を演じていた子どもだった。毎夜9時には布団に入れられる自主性という言葉のかけらもない無駄に厳格な家であった。布団にこっそりスタンドライトを持ち込んでは、見回りに来た祖母にすぐに見つかり叱られ、強制的に眠りにつかなければならなかった。

いつも大声で当たり散らす祖母も、番組をかえただけで睨みつける祖父も、何も言わない父も、それに泣く母すらも何もかもが大嫌いだった。子どもながらに出ていけないだろうかと、新聞広告にある間取りを見ては母の職場に近い安い物件を探した。建築士の資格を持つ母の製図定規を持ち出しては、黄色いチラシの裏に間取りを描き、トイレなんかなぞってみたものである。しかし、大人たちにはそれぞれの都合と役割があり、子どもの浅はかな夢は最後までかなうことはなかった。言葉にできないもどかしさは母や姉に許されず、涙をすればずるい、泣けばいいと思っている、すぐに泣くと罵られた。テレビは一台しかなく、チャンネル権は子どもにはなかった。家族から離れたくても居間から出ることは許されなかったので、本を手に取った。本は言葉にならない痛みから引き離し、ひとりになりたい寂しさを埋め、現実から連れ出してくれる。本があれば、私はいつでも容易に、ひとりこの家から出ることができた。

ひとたび手に取れば、適度な重さと本の香りに満たされ、しっとりとページをめくる音さえ聞こえなくなってくる。本の世界に沈んでいく自分を感じる瞬間が好きだった。思考はすべて物語の中に預け世界が鮮明に映し出される。頭の中の隅々まで物語で満たした贅沢な時間があった。続きが読みたくて、焦がれて、焦れて、食事に呼ばれても、返事もしなかった。家族そろって食卓につくという規律をことごとく無視し、私はなんども叱られ、またよく泣いた。

ついにやっと、18歳。べたべたと纏わりつくしがらみ達を小躍しながら脇目もなく捨て、労働し、結婚した。本は、私と適度な距離を取り、くっついたり離れたりしながらも、いつも手に届くところに居た。血と骨になり、私は2人の子を産んだ。

田舎に嫁ぎ高身長で少しばかり派手な顔をしていたから、自分には陰で下の名前に‘様‘を付けられたあだ名があることを知り、本なんて手元にいつも持っていたら、気取っていると母たちの塊に余計後ろ指をさされると、不安だった。母に着せられた余所行きのレースのブラウスのまま親戚の前へ出されたときのように、読書家という自分を纏うことは落ち着かなかった。なにより、嫉妬を産みだす格好のエサになってしまうだろうと、敵を作らないように阿保の振りをして日々踊る私にとっては、つじつまの合わない居心地の悪いことであった。なにより、お調子者を被ったまま大人になった私には、本が好きという目で見られることはインテリぶっているみたいで気恥ずかしくもあった。マックで作業すると安上がりなので朝から晩までパソコンと本を持ち込んでいたが、ママ友がバイトし始めたのですぐに通うのをやめた。

いつからだろう。自分の行動を‘恥ずかしい’を基準単位とし選別していたのは。

強がって聞こえるが、私にとってその集団と付き合うことは単なる情報収集であった。彼女たちとの浅く広い付き合いには、実りはなかったが、それなり収穫があった。その過程で、私は他の家庭について、本が与えられているポジションを知った。不幸だと思っていた私の以前の家庭には本があふれていたこと。自分が人より本を沢山読み、また、読み聞かせられ、買い与えられ、借り、選んできたこと。本を読むスピードが速いこと、傍らに本がいない家庭もあることを知った。横に並べてみてはじめて、自分には、どの出会ってきた人にも、所在した場にも、付き合う人や年齢によってその様相は形も色も替えたが、必ず本と私とプラスαの思い出があることにたどり着いた。たくさんの本を読んでいつも救われてきた。それなのに、私は本が好きと大きな声で言えない大人になった。

私は本が好きと言えるように私を好きでいたい。

表向きは笑顔を振りまくが、希薄な関係で陰湿なことをする母の塊たちとも離れ関係を絶った。私は静かな時間を取り戻した。終日定額で働き続けた母としての役割もひとつの区切りを迎え新しい風が吹いた気がした。

新しい本と出会いに、知らない自分と、知らない街へ出よう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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